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ゆとり文系女子がIT企業に就職して1年になりました

15卒の文系女子がプログラマーとして働く日常

ある日突然会社に行けなくなった話

お疲れ様です、佐藤です。

仕事のメールに慣れすぎてLINEとかでも友達相手に定型文で書き始めるのやめたい。みんなはならないのかね。
はい、今回はすこしだけ、ほんの少しだけショッキングなタイトルから始まっていますが、私はある日突然会社に行けなくなりました。ほんと最近です。今はまあなんとか毎日職場に行けるようになりました。
ある日いつものように朝起きて、お弁当を作って、化粧をして、着替えて、ドリンクボトルにお茶を入れて、鞄に諸々詰めて、玄関でパンプスを履きました。ここです。ここまで準備してこの段階で玄関を出られませんでした。私が家を出る時間は大体7時。会社につくのが8時40分。仕業は9時。しばらく玄関で立ち尽くして様子を伺いました。右肩にはちゃんとバッグを掛けていました。自分でもどうして玄関から出られないのかもわからないし、時間は刻一刻と迫ってきている。なのに、出れない。
私は多少の体調不良や行きたくないな〜というただ面倒だからという堕落した考えがまっっったく理解できない人間でした。中高皆勤。大学も出席率は9割超え。単位も卒業に必要な単位よりかなり多く取っていました。科目も多め。ガリガリに勉強してるわけではなかったですが、ずっと真面目ちゃんでした。小中高と担任の先生とかには好かれていたタイプだと思います。親には「無意識の猫かぶり」とか言われてましたが(笑)基本的にめっちゃ空気読む子供って感じでした。空気読み過ぎて高校の親友には気持ち悪がられるレベルでした。一般的な家庭で育ちましたが、平均に自分がいかに近くいられるかってことを気にしすぎてたんだと思います。
そうそんな私がなぜ会社に行けなくなったのか。これは原因はたった一つ。大きく言ってしまえば、出向先での私の扱いでした。
私は出向先に来て、「プログラマー」として働いてはいますが実態はエクセルしか触っていませんでした。まあ新人がよくやらされるドキュメントの整備とかですね。それを5ヶ月間やらされていて、いきなり何の知識もない私が他社の協力会社の人と二人で一つのチームになりプログラムの修正を割り振られました。その人をAさんとします。Aさんは50代後半の小さいおじさんです。私より背が低いハゲかけたおじさんでした。その人とは同じプロジェクトにいたものの全く違うチームにいた為ほぼ初対面でした。Aさんは私のスキルを全く知らないので、一つタスクを渡されて「出来るところまでやって欲しい」とのことでした。私にとっては研修以来のそれらしい仕事。周りから似たような話を聞いていたので(きっとテストの手伝いとかだろうな)って思ってました。これで「ちゃんとした」仕事が出来る!って思ってました。私が甘かった。渡されたのはPL/SQLのモジュールとパッケージと変更仕様書仕様書のとおりに修正してテスト仕様書を作り、テストデータを作ってある程度網羅したテストをし、報告しろって内容でした。もう既にポカンです。テストなんて仕様書もデータも揃ったものしかやったことがなかったし、そもそもテスト仕様書なんて書いたこともない。PL/SQLもわからないし、変更仕様書の見方もわからない。そんな中、悪戦苦闘しながらその仕事を始めました。ここからが地獄でした。
わからないことがあるとまず自分で調べる→それでもわからない→自社の先輩に聞く→それでもわからない→Aさんに聞く、これを繰り返していました。そもそもバリバリの先輩でもわからない修正をなぜ私にやらせる。そう思いながら私なりに頑張っていました。すると、自社の先輩に「もう私に聞かないで」と言われました。先輩は先輩ですごく忙しい時期だったらしく、私にはもうかまっていられないと。それは仕方ない。もうここからは完全に私はAさんとしか関わらなくなります。
まずこのAさんはそもそもが他社の人です。私を育てようとか1ミリも考えていません。それに質問した時に毎回舌打ちされてました。

「あの、すみません。お時間いいですか」
「なに」(モニターから目を離さない)
「ここがうまくいかないんですけど……」
「チッ」

私はもうこれが無理でした。え?そんなの当たり前じゃん、っていう人も少なくないかも知れません。私の心はこの時点でポッキリ折れていますが仕事です。聞くしかありません。

「すみません、こうだと思ったのでここをこう修正してこのパターンのデータで試して〜〜〜(頑張って精一杯の説明をする)」
「何言ってるのかわからないんだけど」(モニターから目を離さない)
「…………」

これが縁が切れるまで三ヶ月続きました。ゆとられて生きてきて親以外の大人にほとんど叱られたこともなく、自社の人にも基本的に優しく教えて貰っていた私はここで耐えられませんでした。まあ、耐えられないといいながら仕事には行っていたんですが。そんな中、突然、あの玄関から出られない日が来たんです。Aさんと仕事し始めて1ヶ月くらいですかね。取り敢えず部長に体調不良という名目でお休みをもらいました。取り敢えず午前休を。午後になったら行けるかもしれない。まあ午後と言っても昼休み明けの始業に間に合うには家を11時に出ないといけないんですけどね。結局その日は一日休みました。玄関から部屋に戻って、化粧を落とし部屋着に着替えひたすら寝てました。とんでもない罪悪感でした。
私は3ヶ月これを繰り返して体がついていかなくなると休む。それ以外は頑張って働く。だいたい2週間に1回くらいお休みもらってました。体調不良っていう名目で。まあそんなことしてると上も気づくわけですよ。こいつ何かあるぞ、と。わたしは一度差し伸べられた手を払いました。部長が「何かあったら言えよ」くらいの感じだったのでさらに言いにくかったですね。向こうは向こうで気を遣ってるのわかるし。昨年度はそれで有給全部使いました。やらかした。それでもなんとか仕事に行っていた私ですがついに恐れていたことが起きます。電車に乗れなくなりました。三回の乗り換えが毎度毎度しんどい。目の前に電車が来てるのに乗れない。乗れても今度は降りなきゃいけない駅で降りれない。だからただでさえ早く家を出てるのにさらに早く家を出て多少乗り過ごしても戻ってこれるだけの余裕を持って出勤してました。本当に地獄です。それだけ苦労して職場に行ってもまたあの扱いを受けるだけってことはわかりきってるし。もうほぼパニック障害一歩手前だったと思います。そこでちゃんと元の生活に戻さなきゃ、と思い課長に相談してプロジェクトを変えてもらいました。そんなこんなでなんとか今は普通に生活できてます。
同期にはもっとがんばれたんじゃない?とか言われましたが、やっぱりあの苦しみはそうなった人にしかわからないんじゃないかなと思います。もともと私も仕事行きたくないとか甘え、って思ってた人間ですから。
まあ今なんとかなってると言えど、出向先が嫌いなことに変わりはありません。お金のために頑張ってはいますが。
友達に愚痴ってもストレス発散にしかなりません。やっぱり自分でどうにかできないと思ったら上に言うべきです。上がどうしようもなかったらもうそれはなす術なしってことになっちゃうんですけどね…。でも、部下の仕事環境を整えるのも上司の仕事です。遠慮なく言っていいと思います。
というわけで、今日はそんなお話でした。今悩んでる方が少しでも前に進めますように。

大手は高層ビル内かド田舎

こんにちは、佐藤です。

私は現在出向しています。
中小企業に就活し、新卒4人のうち2人が本社勤務、2人が出向という編成です。いやー、それにしてもうちの会社の悪いところでこの話が説明会の時に一切なかった。私は今の会社を立地で選んだようなものなのにまさかのそこから外されるという絶望。ただここで前向きに考えたのは港区とか新宿とかああいったオフィス群みたいなところに行く可能性があるってこと。そしたら定期が活用できる!とか思ってました。浅はかでした。私は23区内に住んでますが住宅街が多い区なので休みの日の移動にも使えるじゃん!と。いやー、ところがどっこい私の出向先は都内とはいえ区外。そうまさかの市でした。まず通勤に片道1時間半かかります。本社までは30分弱だったのに。泣きたい。電車を三回乗り換え、そこからバスに揺られて十数の停留所を通過し、やっと到着です。ええ、最初の1ヶ月は死にそうでした。早起きはしなくちゃいけない。定時で上がっても外は真っ暗。電車に長く乗っている分遅延の遭遇率も半端ない。そうそれも会社が最安ルートの定期代しかくれないから。これはキツイ。稼いでいる先輩は自腹で差額を出して最短ルートで通勤してたりしますが、私の場合最安ルートと最短ルートの差額は月6000円。年間72000円。絶対無理。そのお金でどれだけのことが出来るか。部長たちに愚痴っても気持ちはわかるけど総務には逆らえないの一点張り。この役立たずどもめ。それが昨年の九月からですが、まあ辞めたい要因の多くを占めます。通勤時間3倍は私の人生にとって無駄すぎる。3倍は赤い彗星だけにしてくれ。よく、通勤時間が長い場合は本を読んだり寝たりいろいろできるのでは、という声も多いと思うがまず朝1時間半立ちっぱなしで三回電車を乗り換え20分バスに揺られる生活をして欲しい。もう職場に着いた段階でその日の体力を使い果たすことになる。
そもそもなんでこんなド田舎にいるのかというと、私の出向先は日本人なら誰もが知ってる大企業グループ。扱う仕事も超有名金融機関のデータベースや画面関係で、超ビッグデータを扱い、本当に国内トップクラスの企業。ほんと、自慢でも何でもなく。私はそこに出向する中小企業の新人。それも文系。研修3ヶ月のド素人。そんな私でもそこがどれだけ僻地にあって且つクズ企業かがよくわかる。まあそれは置いといて。
私の出向先だけではないが、本社は都会にあってそこは営業拠点で実際エンジニアがいるのは大きな工場に併設された管理、開発フロアだったりする企業も少なくない。まさにそのパターン。私は自分がいる工場で何が作られてるかも知らないし、まあ知らなくても何の問題もない。
どのくらい田舎かと言うと、まず周りは住宅街。近くに飲食店なんて皆無。一番近くてスーパー、コンビニ。あとは小学校、保育園。まあ大きいから館内に食堂や売店なんかもある。が、しかし支払いは全部電子マネーだったりする。うちの場合はE●y。登録がめんどくせえ。交通機関のICカードを使えるようにしろ。というか現金払いがなぜ駄目なのか。自社にいる頃なら普通にお昼になったら外にランチに行っていたのに。
そして最大のデメリットは、仕事が終わった後だ。何も出来ない。自社にいる頃なら、新宿に出て舞台を見たり飲みに行ったり。それが今はできない。仕事が終わってダッシュで新宿に向かっても着く頃にはもう舞台は終わってる。帰宅しても自社から帰るのと本社から帰るのでは1時間違う。一人暮らしの夜の1時間を舐めないで欲しい。1時間あったらいろんなことが出来る。録画したドラマも一本消費できる。それが1週間なら5時間。これが私の場合去年の九月から取り上げられた。
そう、だいぶかけ離れたけれど、大きな企業であればあるほど人をたくさん抱えている。その人たちを全員一等地のオフィスビルに詰め込むだけのコストはかけられない。だから部署によっては僻地のデカい工場に飛ばされる事がある。
これは私の人生において一番の大誤算である。

ちなみに自社で私の出向先はこう呼ばれている
。「監獄」。

ほんとすぐにでもプリズンブレイクしたい。

IT業界に入るまで

こんにちは、佐藤です。

まずは私がどういった経緯でこの業界に入ったかお話ししようと思います。
大前提としてブログタイトルにもあるように私は文系です。大学の4年間、史学科にいました。日本史です。専攻は戦国から江戸時代です。そうです、古文書と向き合ってました。基本使うツールは文献。アナログ中のアナログ。信じられるのは紙の物だけ。史学科の鉄則です。
そんな私は15卒。就活は12月封切でした。12月1日からリクナビやらマイナビやらの合同説明会に行ってました。そして就活が始まって二ヶ月経った1月末。既にここで私は折れます。書類選考に通らない通らない。見事に通らない。そこで私は逃避しました。「劇場版TIGER &BUNNY The Rising」に。そう、私はアニメ漫画ゲームが好きなオタクです。私はあの有名なタイバニクラスタなのです。当時、関西の大学にいた私は週一のゼミと資格科目の為にしか大学に行っていません。卒論を本格的に書き始めたのは夏からでした。バイトを週3くらいしかしていなかった私は毎週劇場に足を運び週替わり特典をコンプしていました。頑張った。そう、就活から逃げて。しかしそんな私もGWくらいになるとやばいと感じ始めました。15卒は早い人で4月から内定が出ます。友人に内定獲得者が現れ始めました。そのあたりから私も本気を出して就活を始めたのですが、私の希望は東京就職。東京の企業が大阪や京都で説明会をすることも多かったのですが、ほぼ形だけ。そういう企業は、私も周りも通りませんでした。
そもそも私は当初、出版・印刷系の会社を希望していました。文系にありがちなパターンです。
夏からは夜行バスで月に2回から3回東京に通い、説明会や入社試験、面接を受けていました。書類が通っても面接で落ちる。一次面接が通っても二次で落ちる。これを繰り返していました。これはどこも同じようなことだと思いますが、大学のキャリアセンターなんてクソくらえだったので私はひたすら若年向けハローワークに通っていました。
履歴書を書くのも飽き、スーツに腕を通すのもだるい。履歴書なんてマックで書いてましたね、マックフィズ飲みながら。
資格も就職に有利な資格は持っていませんでした。書けるのは自動車(AT)と図書館司書と博物館学芸員。民間就職ならこれらの資格はあってないようなものでした。
そんなダラダラとした就活の中、文系でもIT企業のエンジニア枠で内定をもらった友人がいました。私としてはビックリでした。だって私たちは文系。しかもIT企業……?そんな所で働けるの?そもそも業界研究すらしてない。ハナから選択肢にない。でもそこからなんとなく興味を持ってプログラミングなんて全くしたことのなかった私がそっちの業界に踏み入れてみたのです。そこで見回してみると、意外と文系歓迎の文字が。研修を手厚くやるので知識ゼロでも大丈夫、という文言がかなり見られました。まあ中小企業ですけどね。
しかしプログラミング=ドラマでハッカーが操っている謎の画面、的な発想でしかなかった私は一度思いとどまります。そうです、私は文系です。高校からの根っからの文系です。微分積分はもちろん選択科目から除外。数B?が精一杯でした。英語もさっぱり。そんな私がやれるのか、と。でも時間は過ぎていきます。面接も通りません。ヤケになった私は夏過ぎたあたりからIT企業を受けまくります。と言ってもよくある就活話のようにわたしは1年で100社も受けていません。30~40社くらいですかね。そこで今の会社に出会いました。まあ面接やら試験やらいろいろぶっ飛んでる会社で(この話はまたいつか)、無事に内定をもらえました。その会社は23区内、駅から徒歩5分。もう最高。私の理想の立地でした。二路線も通ってる。涙が出る。そこに決めました。それが私の就活ストーリーです。
就活が始まってギリギリ一年以内に内定が決まりました。親に報告した時はかなりドライな反応でしたが、おばあちゃんは電話越しに泣いてました。私も決まった時泣いたよね。その間、資格の実習や卒業論文、アルバイト。色々ありましたがなんとか社会人になれる!あこがれの東京に住める!ってことで舞い上がってました。まあ二度と就活なんてするもんか、とも思いましたけどね。でもこの時、別に2月にタイバニに入れ込んでたことやバイトに精を出していたことは全く後悔していません。そう、ひとつ言えるのは早く決まるからって良いわけじゃないってこと。
でもまあ、何はともあれ、私は上京し、IT業界で働くことになったのです。

次回は、入社〜研修のお話をしたいと思います。

初めまして

佐藤です。唐突にブログを始めました。
ブログなんて中学生ぶりなので上手く書けるかわかりませんが、自分自身のこの一年間の整理と、今後文系でIT企業に就職する人にとって少しでも参考になればと思って書きます。
こういう文系の人がIT企業に入って悪戦苦闘にするブログって結構あるんですけど、みなさん前向きなんですよ。私は違います。ええ、違います。
言ってしまえば今すぐにでも辞めたい。
そこに至った経緯とか諸々お伝えできれば、と思っております。

まずは、軽く自己紹介を。
佐藤です。本名じゃないです。日本で一番多い苗字らしいのでこの名前を選びました。15卒の文系女子です。現在23歳です。都内のソフトウェア開発系の中小企業に新卒で入り、現在は某デカい会社に出向中。金融関係のお仕事してます。就職を機に状況し、今は一人暮らしです。

取り敢えず整理したいことをつらつらと書いていきます。